七月二十日 朝の御理解


 御神訓 一、
 天が下に他人ということはなきものぞ

 
 この実感が本当な物になっていく、それを私くしは大きな信心だと思います、ね。世界中の人間が、みんな神の氏子としていっし同仁、みんな肉親同志だと。親神様を中心とする所の、中には色の黒いとも居りゃあ、白いともおるね、黄色いとも居るという様々ですけれども、ね。天地の親神様の、云うならば、お腹から生まれた人間氏子であるという見方、ね。
 そこから私くしは大きな信心、「天が下に他人というはなきことぞ」という、ね。
 私くしは最近、どうでもやはり日本国の繁栄と平和、天皇陛下を中心とする、日本国民の立行きと助かり。その日本の繁栄と平和は、そのまま世界の繁栄、平和に繋がる。
 日本国民の立ち行き助かりは、そのまま世界総氏子につながって行く。お陰を頂く為に、どうぞ和賀心時代を、世界に十三日を世界にと。もうこの願いを繰り返し、繰り返しさしてもらい。世界総氏子身の上安全世界真の平和達成の御神願が、御成就になりますように、と云う時には胸がいっぱいになるんです。
 今までかってこんな事は無かったです。そりゃあおんなじ事を繰り返してお願いしますよね、拝詞の中にこりゃあった言葉ですから。
 所がこの頃は、それが実感として祈れれるように成ったと云う事は、私くしは自分で、自分ながら、自分の信心の進歩だというふうに思うんです、ね。唱えるだけではありません。
 中身が、本当にその中に、いうならば私くしの助かりは、隣の人の助かりにつながるお陰にならなきゃいけないんです。私一家が助かりゃどうでも、村中の助かりに繋がっていかなければいけん。その為に私一家が助からなければいけんです、ね。
 いうならば、日本国の繁栄と平和は、世界の繁栄と平和に繋がる。日本国だけが無事息災であればよいというのじゃない。日本国民との助かり立ち行きはそのまま、世界総氏子の助かり立ち行きに繋がっていきます様に、ね。この祈りがです、切実にだんだんなってくる。
 今朝方から、こんなお夢を頂いておった。もう、どれだけ広いか解らん様な所に沢山な、まあ講会堂なら、講会堂のような所に。いっぱいこう中に道が、こう通路がねあるんです。
 私くしもその半ば位の所に座っておりましたら、もうその道をね、塞いでも良いから前に出て下さい、前に出て下さいと云うて、もういっぱい満員になっておる。そこの中に通っておる道に出されてから押しやられて、一番前に出らして頂いた所を頂いたのです。だからその通路というのが、全部塞がれてしまったわけですね。ここでもそうですね。
 大祭の時等は、道を例えば作っておっても一杯になるともう道を潰してしまう。そしてこう前より、真ん中ころに居ったのが一番前にしかも丁度真ん中の一番前にこの押出されて。
 そこにはっきり頂いたのが杷木の信徒会長をしておられる、市川さんですね。ここで胃癌でお陰頂かれた方です。その方が小さい子供のようにして、私くしの横に居られるのを頂いたんです。
 だから市川と云うのは、一つの川と云うふうに頂きました。これは、教団全体でもそうですけれども。教団がどうしてただ衰微の一途を辿るばっかりかと。さあ百年祭を後数年にひかえて様々な活動をしておるのにもかかわらず、かえって衰微をしておる。どう云う訳か、もうそう云う道は潰してしまえ潰してしまえ云うような、その悪い意味でじゃ無いわけです、ね。もうとにかく前に出て下さい、前に出て下さいと、追い出された所が、その通路が一杯に成ってしまった。
 そこから新たな道がつかなければ、教団のいよいよ発展はあり得ないと云うふうな事を、夢の中で実感したんですけれども。
 今日、ただいま、この御神訓を頂いて見てです、ね。本当に世界の総氏子が助かる。世界各国が繁栄していく平和のお陰が頂けれるといったような在り方が、世界中の動向というか、動きというものが、いまの様な思想、今の様な政治、今の様な在り方ではもうそれこそ。総氏子というのが、肉親はらからであるものが、いうならば肉親相食むといったような状態が、何処にかこうやって起こっておるといったような、いわゆる戦争なんです。争いなんです、ね。
 それでいて、なら、ここの国には植物が無くて、その餓死者が、次々とその出るといったような、ね。おんなじこの、地球上に生まれ合わせた人間同志がです、ね。そんな事があって良かろうはずがない。
 親である所の、天地の親神様は、そん所のお嘆きがある。そのお嘆きに応えて、ね。世界総氏子身の上安全世界真の平和の達成が、本気で願われる。願う手立てとしてなら、どういう手立てをしていったら良いのかというのが、今合楽で説かれておる合楽理念だと思うです、ね。
 合楽理念で、この道をいっぺん塞がなければいけない、そこから合楽理念による助かりというものの道がいよいよ開かれて行かなければならない。
 昨日のお話の中に申しましたように、ね。私くしがテレビに云うなら出てです、ね。世界のみんなの人が合楽の時間というたら、もう毎日それこそ待ち構えて居ってそれを聞かせてもらう、見せてもらう、と云った様な夢のようなお話しですけれども。そういう事が実現する。
 こりゃあ、神様がなさる事だから、それこそどういう破天荒の働きに成って来るか分らない、ね。そのそんなら、おおもとである所の、合楽であるその芯である所の、私くしがいよいよもって、もっともっと大きな力を頂かなければならない。同時に皆さんもその力に浴して皆さんがお陰の実証を一人一人、示せれるだけのお陰を受けなければならない。と云う事なんです。
 いわゆる全ての事を、合楽理念をもってする他は無いという信心を、頂かなければならないと云う事であります。そいう大きなです合楽には使命が掛かっておる。そこに私くし共の一人一人がそういう使命感に燃えてです。いよいよ、
 真の信心生活を、いわば今、教団が衰微の一途を辿っとる、いまの道ではいまの道ではだめ。その道をいっぺん潰して、新たな道を作って行かなければならない。それは合楽理念を持ってする他は無いと云うような事にまで、高められてこなければ、そういう思いというものが、ね。お互いの心の中に、けど、そいうお夢を頂いてから、今日の教典を頂きましたら、「天が下に、他人と云うは無きものぞ」と、こうある、ね。
 同胞はらからが、みんな一視同仁に、天地の親神様の御恩恵を欲せらるる受けものを作る事の、いうならば、宣伝と云うでしょうかね。
 しかも、話を聞いて助かる道と云うのですから、電波に乗って私くしの話を、世界の隅々までの人が聞いて。なら、病気が癒えよる人間の幸せの糸口がそこから、発見されると云ったような、例えばそういうあの実が上がるとするならば、云うならば、世界中に広がっていくという事も、又、これは夢では無いというような気が致します。
 それには、まずはいよいよもって私が力を頂かねば、その事を思わせて頂いとりましたら、もうとてつもない、大きな鋏を頂くんです。もうあんなふつうじゃあつかえないという。いうならば、鋏のお知らせは、徳ということです。貯金ということです、ね。 悪いものは切って捨てていく、ね。そして貯金貯金と進んでいくという、ね。云う、まお知らせだったとこう、まあ思います。
 昨日は、私くしの母の丁度三年の式年祭が、久富先生が祭主して下さって祭員四人でほんとに有難いお祭を拝ましてもらいました。お祭が終わってから、久富先生が感動いっぱいで、もう本当に頂きたいと思うても、どうしても頂けない事があるが、親先生のこの装束を着けてそして、御神前に出らして頂いたら、途端に神様から次々とお知らせを頂くこと、又、御霊前に出たら又、次々とすばらしいお知らせを頂いてもう本当に震える様な感動でお祭を終わらせて頂いたというお届が御座いました。
 その中にです、おじいちゃまと、おばあちゃまが。あの、これは茄子びの上に座ちょるとじゃろかと思うたら。茄子び形の、もう濃い紫のお座布団に、二人がお座りになっておられるお姿を拝んだとこういうんです、ね。
 ま、茄子びと云う事は、紫と云う事は、安心と云う事。安心の霊としてのお陰を受けておる様子を、まその様子をさまざまな角度から、ま、頂いて居られますけれども。ま、そういう、云うならば合楽に御縁を頂いて。なら、改式のお陰でも頂いておる人達は必ず安心のお陰を頂き、安心のお陰をいよいよ偉大なものに育てて行く精進が一生懸命出来ておられるんです。
 皆さん、本気でね、私しが云う事を信じて早く改式せなだめです。私くしが頂きましたのは、ね。もうそれこそこれが真の闇だという中に、真の闇ですからその実際はあの家型はその分らんけれども、何とはなしに、藁葺きの家のそれも偉大な藁葺きの家、云う感じですね。
 それに、その、こう云う蛍光灯の、ね。白ろーい明りがずうっとその、障子が、こう、はまっていっぱい障子が、いうならば明々と電気が灯っておるというを、あの拝まして貰いました、ね。
 どげな事だと思いますか、いうならばあの世にある合楽世界のなんです。もう外は、もうそれこそ、もう真の闇です。これが霊の実相です、霊の世界の実相です。もう絶対に、いわゆるこげん所あげん所があるという事はない。もうそれこそ真の闇です。と同んなじです。
 あちらはそれで真の闇に行って、もうそこでしだごだな霊がどの位あるやら分らない。明りに触れる事も出来ないでおる霊、いわゆる光明世界に住む事の出来ないでおる霊が、どれ位おるか分らんです、ね。
 それで合楽に縁を頂いておる霊達がこの、それこそ周囲は真の闇だけれども中は明々として、それこそ昼をあざむく様な光のもとでです。霊の生活が出来ておる様子だなあと、私しは思わせて頂きました。
 うちの家の両親と云うだけじゃあないなあ。これが霊の世界にある、合楽の世界だなあと、云うふうに思わせてもらいました、ね。ですから私くし共がこの現世でいうなら救われ助かる。みんな世界中の云うならばうからやから、又は世界中の総氏子がです、ね。この世でお陰頂く事と同時に、いうならばあの世に合楽世界が大きく広がってです、ね。沢山の霊達がそこで、光明世界に過ごさせて頂けれるお陰を頂かなければならない、ね。
 今日は、だからそう云う現世においての助かり、霊の世界の助かりもひっくるめて、本当に合楽理念がいよいよもっと大きく広く、云うならば周囲の真の闇を照す程しのです、ね。光ともなっていかねばならないということを思うですね。
 皆さんの祈りがどうでしょう。皆さんの願いがどうでしょうか。隣の事を本気で思いよったら、感動に胸がわいて来た。村中の事を願っよたら、日本国の事を願っよたらと、例えば、ね。本当に中身のある信心が大きくなって育って行かなければだめなんです、ね。
 日勝、月勝、年勝りの、お陰を頂いて、どうぞ信心の真が現されます様にという事は、ね。そいう人事他人事とせずにね。自分の事として、祈れるような信心を、私くしは真の信心を現していく、真の信心を現すから貧爭病の無い世界、真善美に輝く世界。
 云うなら、お徳の世界、云うならばあの世まで持って行けれると云う世界。云うならば、日勝り、月勝り、年勝りのお陰からです。いよいよ代勝りのお陰の頂けれる世界に、お陰頂く為には。私くし共の祈りが、その様に中身のこもった意味合いにおいてです。云うだけなら誰でん世界中の事が云われる。
 けれども、中身のこもった祈りが、いよいよ大きく育っていく、修行をさしてもらい、それは一つの合楽に御縁を頂いた合楽の信奉者としての使命感というものが出来てくると、その祈りが自ずと大きく成って来るんじゃあないでしょうか。
 もう、うちだけが円満にいきよりゃあええけん。てんなんてんと、けちな信心から、ね。自分の周辺が、云うならば、合楽の光に潤うてくる様なお陰を頂きたい。そいう願いを基にしての信心を進めて行かねばならんと思います、ね。
                   [どうぞ]